C級ロゴセラピストの資格を頂戴し、身の引き締まる思いになりました。 勝田先生から託された松明の灯を消さずに灯し続けていけるよう、これからもロゴセラピーの学びを続けていきます。 フランクルの教えを日々の生活の中で実践して身に着け、他の方にも伝えていけるように精進していきます。
フランクルによって創始されたロゴセラピーに出会い、条件付きの後、再受講を経て、C級ロゴセラピストの資格を戴くことができました。まだまだ自分で、浅いなと感じることが多いのですが、ロゴは技術ではなく「生き方」との、勝田先生の教えを胸に、自分のことばかりを考えず、世界に目を向け、誰かのため、何かのために、ロゴの学びを深め、実践できるよう日々、過ごしていきたいと思っております。
1クール目では、よく理解できなかった「意味への意志」。現在、2クール目の受講、同学の皆さまのご発表、特別講演を通して少しずつ少しずつ消化し、自身の中に取り込むことができているように感じています。日々の暮らし・人生を豊かにするロゴに巡り合えたことを本当に幸せに思います。勝田先生にご教示いただきました「ロゴは生き方」を胸に、誰かのために、この灯りをともしていけたらと思っております。―感謝と共にー
好奇心から学び始めたロゴの勉強でしたが、いつのまにか資格試験まで受け、条件付き合格をへてC級合格証を戴きました。 フランクルの理論は、すんなり心の中に入ってきて、日頃自分が考え行動していることが正しいと証明してくれ、なんだか強い見方がいるようで嬉しくなります。 自分の生きかたにそうこのロゴの精神を身に纏い、誰かのために・何かのために、意味ある人生を送りたいものだと、資格証書を前にして強く思っております。
合格まで少し時間がかかりましたが、C級ロゴセラピストの資格をいただき、ありがたく思っています。私は長年、自助グループで仲間とともに、日本生まれの精神療法である「森田療法」を学んできました。自助グループには、悩める後輩が次々とやってきます。ロゴセラピーと森田療法、違いを強調するのではなく、むしろ共通点を見い出しながら、自他の悩みに向き合っていきたいと思います。
ロゴセラピストとしての抱負を書けないまま3年が過ぎました。その間も人生からの厳しい問いかけがありましたが、今やっと決意表明できる気がしています。 人間であり医者でありロゴセラピストである私は、町医者というプロフェッションの場で、関係する人々と魂の触れ合う関係を作っていきたいと思います。そして一人でも多くの方に「生きてきてよかった!」と思っていただけたら幸いです。
ロゴの学びは、とても楽しいです。素敵な仲間に囲まれての学びの時間は、私の癒しの時間です。まだまだ足踏み状態の私ですが、今までの学びで、少しずつ前に進めているかなと、思っています。今の仕事は、高校生達に囲まれています。彼らも、若いなりにいろんな人生を歩んでいます。彼らとお話しをする中で、ロゴセラピーの例えを出すと元気になって、笑顔が増えていくことを実感しています。ロゴセラピストC級をいただき、ありがとうございます。自分もますます元気になって、周りの人を明るくしていきたいと思っています。
ロゴセラピーを学び始め、様々な出来事に「人生からの問いかけ」を意識するようになりました。道に落ちているゴミ、思いがけない怪我、他者からの厳しい批判など、「私はこの問いかけに、どういう態度で臨むのがロゴ的なんだろう?」そう思うことが日常になったのです。いつか大きな悩み、苦しみを抱えてらっしゃる方々のお役に立てるよう、まずは私自身が「客観的な意味」のある実践を選び、問いかけに応え続けていきたいと思います。
フランクルの言葉を読むこと自体が、私にとって最高のセラピーとなりました。それがいかに有効なものであったかを、今の、そしてこれからの私の生き方を通して人々に伝えていきたいと考えています。
私が3年間にロゴセラピーから受けた印象と影響は、次の3段階に分けられます。
①患者さんのために役立つ手法だと思った。
②自分の人生が問われていると感じた。
③「物事の本質とは何か」をいつも考えるようになった。
今後も、ロゴセラピーから何を学ぶことができるかが楽しみです。
ロゴセラピーを好きな一つは、自分がロゴ的に生きることだからです。そして初めて周りの人に、ロゴセラピーを人に伝えることができるところです。人は言葉を選びますが、言葉も人を選びます(同じ言葉でも、誰の口から出るからで、重みが変わってきます)。ロゴ的な言葉が相応しい行動をしていきたいと思います。
「生きる意味って何?」という娘の問いに答えられず悩んでいた時に出会ったフランクル。生きていれば人は誰でも大なり小なり悩み苦しみ、辛いときがありますが、ロゴセラピーを学ぶなかで、降りかかってくる苦悩に対する受け止め方が180度変わりました。これからもロゴ的な生き方を軸にして、人間の病まない精神次元の存在を信じ、私に与えられた役割を一つひとつ、人生という許された時間の中で精一杯丁寧に果たしていきたいです。
私は精神保健福祉士として障害者の就労支援に関わっています。V.E.フランクルは精神科医であり心理学者でしたが、ロゴセラピーは単なる心理療法の枠に留まらず、福祉、教育、産業といった様々な分野、様々な職域で適用可能なセラピーだと感じています。私もソーシャルワーカーとして、その可能性に挑戦していきたいと思います。
ロゴセラピーに出会えたことは、私の人生で大変幸運なことでした。この度、C級ロゴセラピストに合格し、その責任の重さをひしひしと感じています。自分のありようを常に考えながら、学び続けていきたいと思います。
私はがんと共に生きる患者さんやご家族と関わる中で、「私にできることはないのか」と悩み、進学した大学院でロゴセラピーと出会いました。「私にできることはないか」と考えるのではなく、患者さんの力を信じることが大切だとロゴセラピーを通して感じています。「ロゴセラピーは生き方」という勝田先生の言葉を忘れず、自分の生きる姿勢を常に問いながら日々の看護に取り組んでいきたいと思います。
生きる意味を見いだせなくなったり、生きずらさを抱えている自分以外の誰かの為に、ロゴセラピーを役立てたいとの思いからスタートした自分でした。しかし今「人生の締めくくりを前に、そういう自分はどうなのだ?これまでの自分の人生にイエスと云えているのか?」を問い始めている喜寿の私がいます。限られたこの先の時間を「ロゴを生きる自分」でありたいと願っております。
ロゴセラピーの勉強はまさに終わりのない旅です。自分の人生を豊かにするために一生学び続けて行きたいです。
私は麻酔科専門医として「がん緩和医療」に関わってきました。身体的苦痛には医学で対応できますが、心の苦痛(スピリチュアルペイン)にどのように対応すればよいのか悩んできました。ロゴゼミで学んだフランクルの次元的存在論が大きなヒントを与えてくれました。人間は心身態だけでなく精神次元を有する総合的な存在です。心の苦痛に対応するには,精神次元と身体を用いて心をコントロールすること、自己超越と自己距離化を習慣化することが重要と考えました。現在では「ロゴセラピーを基盤とするがん哲学外来」に取り組んでいます。
これからも、ロゴセラピーを実践し学び続けます。そして、人間の精神への尊厳を忘れず、「生きる意味」の発見を促進する目立たない触媒のような存在でありたいと考えています。
3.11を経て、子どもたちは かつて無いほど厳しい状況を生きざるを得なくなりました。それでも、希望や絆、生きる意味という世界を照 らす光は、子どもたちの中でしっかりと輝いているように思います。その光が、これからもずっとずっと輝き続けるように、ひとりの母親として、ロゴセラピストとして、見守り続けたいと思っています。
私達の日々の生活にロゴセラピーをどう適用するか、どういう分野でより力を発揮しうるか、自分の生き方と照らし合わせ、より理解を深めていきます。また普遍化可能な領域があれば共有していきます。
自助グループでも、日々のふとした瞬間にも、ロゴセラピーを実践できるよう、勉強を続けていこうと思います。必要な時に意味を感じられるように、毎日生活していきたいと思っています。
今回、東北の大地震の年にロゴセラピストとなったことを考えますと何か格別な思いがあります。生きるということ、「死」は有るのかということ。私の幼い頃からの免れ得ない問いかけに、ロゴセラピーは問いかけではなく、自ら「善く生きよ」と責任の所在を明らかにしました。「ありふれた日常」が今回崩れ、損なわれてしまいましたが、目の前の人、事に向き合い、一回性、唯一性の出会いを大切に責任を果たしていきたいと考えます。
「ロゴセラピストとして生きるということは、何よりもまず、ひとつの生き方の選択であると考えています。それは、意味を実現する主体として、一瞬一瞬を自覚的に生きるということであり、そうした生き方は、今という時間を無自覚に過ご 生き方とは根本的に異なるものです。まずは自分自身がそうした生き方ができるように、そして、他者が意味ある人生を生きることができるように支援することを目指して、人生の提起する問いに応え続けていきたいと思います。
ロゴセラピストとしての抱負そのものが私にとっての問いであり課題です。今ここでの自身のあり方をとらえながら他者と関わり「具体的な問い」に誠実に応えて行きたいと願っています。
「誰かのために」「何かのために」と、自分から外に向かう他者との関係性の中に意味実現の可能性があるのだと思っています。だからこそ、いつでもきちんと他者と向き合い、その関係を真摯に生きていきたいと思います。
カウンセリングに携わって、「人を支援する」事よりも「自身の成長を日々実感出来て」歓びを感じています。その支援の拠り所としてロゴセラピーがあることは大変心強く、また、厳しくもあります。意識して、実践していきたいと思っています。
「よきセラピストである前に、よき人間でありたい」
フランクルのこの言葉は、私の大切な指針です。私自身の人間性を磨くと同時に、ロゴセラピーを通して人生の意味を見失っている方に寄り添っていきたいと思います。
フランクルからルーカスへ、そして勝田先生を経て受け取った「たいまつ」の火を絶やさないようにしながら、苦悩している人に少しでも多くの光を与えられるような生き方をしたい。
2011年。目の前の風景が全く変わってしまったこの時に、ロゴセラピストの認定を受けた事に強い使命を感じずにはいられません。いかなる状況に陥ろうとも、人生にイエスと言える自分であり続け、多くの方々に「生きる力や希望」を伝え続ける事を誓います。
試験の準備勉強をしているときは「試験が終わったら、一安心。ほっとできるだろうなぁ」と楽しみにしていました。けれども実際に合格してみると、フランクルからルーカス先生、勝田先生へと引き継がれてきたロゴセラピストの松明が、 今、自分の手のなかにあるという責任の重さに圧倒されています。私はどうやら「一生もの」の責任を引き受けてしまったようなのです。私にできる働きは、ごく小さなものかもしれないけれど、倦まずたゆまず歩んでいきたいです。
「今、ここ」での実践を忘れないロゴセラピストでいたいと思います。
人間の最も根源的な欲求、それは、自らの人生を意味あるものにしたいという「意味への意志」であるという フランクルの考えに深く共感します。人間の精神への敬意を忘れることなく、人々の助けになれるようなロゴセラピストを目指して、努力していきたいと思います。
(1)もっと勉強を深める
(2)フランクルの考えと道家思想(特に老子)をつきあわせ考察する
(3)ボランティアとしてかかわっている障害者の就労支援やいのちの電話など日常生活の各場面で役だてる
私はフランクルを、いつ、どのように知ったのか記憶にないのですが、いつの頃からか身近な存在になっていました。フランクルの生き方にとても勇気づけられ、どんな時も希望を見いだすことができました。 今、ロゴセラピストとして、自分の生き方の中にロゴセラピーの灯火を抱いて必要とする人々の道しるべになりたいと思います。
ロゴセラピーを学ぶことによって自分自身の生き方の指標ができました。看護するものとして、医療現場で苦悩している患者様の心理的な支えが実践できるよう頑張ります。
どうしようもなく辛い人生でも、それでも人間は乗り越えていかれる力を持っているのです。「人間てすごい!」「私ってすごい!」そう誰もが思えるように援助ができるロゴセラピストになりたいと思います。
3年間ロゴセラピーゼミナールで多くのことを学んできました。これからは、今まで学んできた知識を経験に変えていけるよう努力していきたいと思います。臨床家の第一歩をロゴセラピストとしてスタートできたことを、とても誇りに思います。
ロゴセラピストとしてどのように生きていくのか。このような問いに、どう答えようかと思うと迷いがあります。しかし、今の私にできることと考えると少しは見えてきます。教育・福祉の分野で子ども達と関わることが私の仕事です。子ども達の苦しみは、周りの大人達の苦しみでもあります。生きることに絶望しがちな子ども達に、生きる目的・希望を持ってもらえるように支援して行ければと考えています。そして、その周りの大人には、一緒に悩み、考える仲間として寄り添えたらと考えています。
精神科医として、出会う方一人一人の全く新しい唯一性・一回性への尊厳を持ちながら、可能な限りロゴセラピーを自分の中で消化・血肉化し、自然なそよ風のようにさり気なく柔らかく、その方が意味をつかみ実現していけるような、意味ある仕事と生活をしていきたいと考えています。私に与えられた全ての役割と責任を丁寧に果たしたいです。
ロゴセラピーの理論は、私のこれまで持っていたかたくなな価値観を大きくを変えてくれました。物事に当てる光の角度をいろいろに調節してみようとする心の余裕ができた、とも言えるかもしれません。人生から、私は今、何を期待されているのか、問われることに敏感に答えることができるよう、そしてそのようになれるよう、アンテナやメガネを磨くことを忘れないでいようと思っています。願わくは、学んで得たたとえ小さな灯でもやがて他を大きく照らすことができるようになりたいものと考えています。
容赦なく人生の方からどう生きるのかを問うてきた時、人はそこに意味を感じ取り、対処できるのでしょうか。仲間と一緒に、精神の次元から人生を、また、現代科学の方法を捉え直していきたいです。
フランクル臨床哲学の貴重な遺産を自分なりに「受け取り直し」、益々昏迷する21世紀の時代に何を切り拓いていけるのか、一人の人間として、研究者として、そして大学教育に携わる者として問い続けたいと思います。
フランクルは、「生きる意味というものは、知識を教えるように他人に教えたり、また他人に教えてもらうものではありません。ただ自分のものとして、自分でそれを生きるべき性質のものです。…教師に出来ることといえば、自分が生徒の前に生きた見本となり、生徒が自分の力で「生きる意味」を発見できるように脇から間接的に援助することです」と言っています。高校時代は、自分の進路を決める時であり、それに伴い、自らの人生の「生きる意味」についても考え始める頃です。私は、ロゴセラピーを生かし、生徒の皆さんが「生きる意味」について考える時の良き相談相手となれるように努めたいと思います。
苦しみでこころがいっぱいいっぱいになる時がある。自分が用無しに思えたり、犯した過ちで自分が嫌になることもある。そんなシンドサのなかでロゴセラピーと出会い、(自分もそうだけど)お会いする方もまた、「よしやるぞ」って気持ちなれたらいいなって思いながら、産業カウンセラーをしています。よろしくお願いします。
「夜と霧」の作者の思想(セラピー)に近づけるようになるとは、思ってもいないことでした。これからの私の人生の中で、また仕事の中でも、フランクルの思想に助けられることが度々あることと思います。
一昨年ウィーンでルーカス先生にお会いした時「ロゴセラピーは日常生活で役立てることができると思う」と述べましたら、先生は大きくうなずいてくださいました。問題に直面した時、その状況を受け入れ、違う角度から眺めることにより、出口が見えてくることをロゴセラピーは教えてくれました。また、「何かのため」、「誰かのため」に生きることが大きな力になることも学びました。ロゴセラピーで学んだことを、自分の生き方や周りの人たちへの助言に役立てていきたいと思います。
人生において何かをするのに遅すぎることなど決してない。意味のない、無駄な過去なども決してない。そして、あなたには、あなたにしかできない、他の誰にも決して代わることのできない役割がある。苦悩の中にいて、今はそんなことを信じられなくなっている人に対して、そのことを強く信じてもらえるようになる、そんなロゴセラピストでありたいと思います。
心理学の知見をどのように治療に生かしていくかを考えることが多い中、自分自身の生き方やふとした日常生活にいつの間にか生きているのがロゴセラピーでした。迷ったとき、しんどいとき、知らない間に支えになってくれている、それがロゴセラピーなのでしょう。
現在、看護の現場で、特にターミナル期や慢性疾患を患う中で様々な苦悩を抱いている方々への看護に、このロゴセラピーが応用できないかと日々研究と実践を重ねて行きたいと思っております。
悩んでいる人ほど、その人は自分の人生に真剣に取り組んでいる。その人なりの意味がそこから見いだせるよう、そしてそれがたった今から、そして未来にかけて生きる力になるよう、ロゴセラピストとして援助できればと思っています。
自分の人生が八方塞がりのように思えて、孤独と絶望感で立ち上がれなくなってしまうことがあります。しかしながら、問題に当てる光の角度を変えたら、そこに浮かび上がる姿が変わり、目前に広がる景色も変わります。ロゴセラピーを通して、私たちは自らの手で、自分がとらわれていたものの見方や、固く閉じた自分の心のあり様を自由に解き放つことが可能です。私は、ロゴセラピストとして、苦悩のただ中にある人が「暗い」と嘆くのではなく、自らの手で明かりを灯す力を持っていることに気づく、そのプロセスに伴走して行きたい。どのような状態に置かれていても、人間の内にはほんのかすかではあっても希望の灯火が宿っていることを、深く信じて対話に臨むロゴセラピストでありたいと思っています。